高等教育の無償化は果たして必要か。

今朝の毎日新聞の朝刊。

政府は、「教育無償化」基本方針を12月に予定しているとの事。

貧しい家庭の子も、大学進学を保証する「高等教育の機会均等」という美辞麗句が使われています。

資本主義の原則として、「機会平等・結果不平等」原則は守られるべきでしょう。

しかし、私はこの高等教育無償化にはかなり懐疑的です。

記事によれば、この「教育無償化」には数兆円の財源が必要と書いてあり、(一体何兆円なのか今の時点では概算すら出ていないのだろうか)、その財源の手当てを如何にするかが議論の肝にはなりそうである。

小泉進次郎という二世議員の推奨する、「こども保険」という筋の悪い政策なども検討フェーズに入ってしまっているというからなかなか絶望的様相を呈してきた。(こども保険が如何に筋の悪い財政政策であるかは過去記事を参照されたい。「こども保険が如何に筋悪か」

記事では、オーストラリアなどで実施されている「高等教育拠出金制度」などの紹介もある。

在学中の授業料は無料で、卒業後、各人の所得に応じて、拠出金を納付する制度だそうだが、これも、卒業後の生徒の財政に負担をかけるし、所得を補足する社会主義的な施策であり、到底筋がいい財政とも思えない。

ではどうすればいいのか。

 

公教育の民営化と教育バウチャー制度の導入

現状、公教育現場でも、大学教育でも、競争原理が働いていません。

義務教育は文科省管轄ですし、教師は公務員。カリキュラムに従って、横並びの教育を提供していればよく、逆にマニュアルから逸脱した教育は激しい批判にさらされるため、上意下達に汲々としているのが一番大きな理由です。

大学も文科省のひも付きですから、似たようなものです。大学運営において文科省からアレコレ指示を出され、その細かい規定に従わなければなりません。

最近の加計学園問題や天下り問題もその端を発しています。文科省の役人は学校という既得権益を手放したら、自分たちの存在意義がなくなりますから、教育関係の規制がなくなったオマンマの食い上げですから。

しかしそんな文科省の役人のくだらない縄張り争いの為に、日本の将来を担う子供たちの教育が犠牲にされている現状を鑑みれば、このままでいいはずがありません。

ですから、教育こそ規制緩和。大学無償化などで、税金を使って、現状の社会主義的な大学や高等教育を保護する事など時代逆行も甚だしいわけです。

現状の教員免許なども廃止したらいいと思います。教員免許は大学に行けば割と誰でも取得できるのですが、逆に言えば大学に行かないと取得できないとも言える。

有意で優秀な若い先生が大学を卒業していないという愚かな理由のみで教育に携われないのは大きな社会的機会損失と言えるでしょう。

私は義務教育はとりあえず中学生まででいいかもしれないとは思いますが、高校以上はもう完全民営化してもいいくらいだと思っています。

そこで教育バウチャーの出番。教育バウチャーとは、授業料にしか使えない一種の金券。

それを子供のいる各家庭に配布。さすれば、無償で、子供を中心に、各家庭で受けさせたい教育機関で教育を受ける事ができます。

高校や大学は、このバウチャーをどれだけ生徒から集められたかが勝負になります。それぞれの学校は、ですから、教育内容を求心力の高いものとして用意して、各家庭の関心を集める必要があります。

今まで競争のなかった高校や大学に資本主義的な競争が生まれます。

大学などでは、バウチャーが集中的に使われた、教授なども分かるわけで、その教授はカリスマ化し、よりバウチャーが集中する。

大学はそんな優秀な教授に報酬をはずむことで、優秀な教授を獲得する競争も生まれ、教育の質はどんどん向上する事でしょう。

 

実質就職予備校と化している大学

税金で、大学を無償化するというのは、大学へ補助金を出している事と変わりません。

公的な補助金をあてにして大学を経営していたら、大学はずっとお上の方ばかり向いて運営され、天下りは是正される事はありませんし、また、生徒の教育は二の次三の次になっているのが現状でしょう。

それがカリキュラムに表れている「悪平等」です。

例えば最近何かと話題の天才将棋棋士「藤井聡太」四段。

これだけ突出した才能ですから、もう税金を投資してでも特殊な教育環境に置いた方がいいという判断もあるでしょう。

ところが、現行の教育では、どんなに天才的であろうと、14歳は他の14歳が集まった教室で同程度の教育を受けねばならないと決まっているわけです。

これは社会的に大きな機会損失になっている事は誰が考えても明らかでしょう。

天才的な能力を持っている子供はそれを伸ばすためにどんどん特殊な環境へ上がっていってもらうべきです。

それが飛び級というカタチなのかどんなカタチなのかは分かりませんが、そういうところにこそ、税金他リソースを投入して、ガンガン社会を引っ張って行ってもらえばいいのです。

突出した天才が出現しないと資源貧国の日本はジリ貧です。

逆もまた真なり。

どうしようもなく勉強のできない子もクラスにはいるでしょう。そして勉強に対する志向性も弱い。(いわばやる気がない)

そんな子を無理矢理机に座らせて、したくもない勉強を無理矢理させる事に血税を投じるって誰がハッピーなんでしょうか。

既得権益を守る事に汲々としている文科省の役人を利するくらいの効果しかありません。

ですからそんな子供は、むしろ読み書き程度の義務教育を終えたら、専門学校にでも行かせて、大工にでも料理人にでもスポーツ選手にでもなってもらった方がよほど社会と本人の為とも言えます。

なぜなら、実質的に大学は就職予備校なのですから。

大学というひとつの就職予備校しかないという現状の教育システムがある意味歪です。

勉強が嫌いな子は勉強などしないで、大学など行かないで、本当の就職予備校に行った方がいいでしょう。

そんな風に、悪平等で画一的で社会主義的な現行の教育制度が、勉強が好きな子も、嫌いな子も、出来る子もできない子もひとつの教室に押し込めている。

公教育の自由化でそんな子供たちを不幸から救い出してあげたいと思います。

こんな歪な公教育の現場が自由化されたら、自然といじめなどの問題も自浄作用で是正されるのではないかとも考えています。

 

こども手当による金銭的インセンティヴの方がまだ無償化より筋が良い

教育バウチャーや、公教育の民営化・自由化などと書いてきましたが、もし仮に政府が財政出動をするのなら、こども手当の増額も、悪くない政策かとは思っています。

特にひとり親の相対的貧困家庭に毎月金銭的インセンティヴを付与するという手段は悪くない。

政府や役所というのは、小さければ小さい程、資本主義的なのです。つまり、規制というのは少なければ少ないほど努力次第でみんなハッピーになれる。

しかし、政府や役所などがしなければならない仕事もあります。それが社会的弱者の救済です。

特に、昨今のひとり親の貧困世帯の問題などは深刻です。今のご時世、女親ひとりで、子供を育て上げるのは並大抵の努力ではないでしょう。

そんな図らずも、社会弱者になってしまった人たちを救済してあげる、セイフティネットを用意するのが、国や政治の役目なのです。

だからもし大学を無償化にするカネがあるのなら、まず先にそんな貧困家庭への金銭的インセンティヴにより、貧困を是正する方がよほどプライオリティが高い問題と言えます。

教育バウチャーとは違い、もし仮に現金給付を行った場合、その親次第で、子供のためにそのカネが使われないという問題は確かにあるのですが、そんな事を言い出したら、財政出動など何もできません。

役所が相対的貧困家庭にカネを配って、それがたとえ教育費に使われなかったとしても子供が腹いっぱいご飯を食べられる社会である事が重要という考え方もあるわけです。

そういう意味で言えば、教育バウチャーなどよりも現金給付の方が筋が良いという考え方もあるわけです。

つまり、高等教育の無償化などをする前に、

・公教育及び大学教育の自由化・民営化

・相対的貧困家庭への金銭的インセンティヴを付与する事による官製的トリクルダウン

このいずれかを実現した方が、社会はよりよくなると考えているという事になります。

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