子供の非認知能力を高めるために

出口治明先生と駒崎弘樹さんの対談本「世界一子供を育てやすい国にしよう」を読んで。

非認知能力とは簡単に言うと、漢字を覚えたり、英単語を覚えたり、歴史の年号を覚えたりと言った、認知能力とは違って、勉強する自律心だったり、挫折から立ち直る力だったり、困難に挑戦し続けると言った能力の事を指します。

親や周りの大人は子供に魚をあげるよりもむしろ魚を釣って生きていく力を子供に授けよ、という事です。

駒崎さんはその非認知能力を養うために2つ有用な方法があると言う。
ひとつはよく遊ぶこと。
集団保育で子供たち同士が遊ぶ事が、社会性だとかノンバーバルコミュニケーションをはじめとした闊達なメタコミュニケーションを活性化させ、それが非認知能力向上につながるというのです。

ふたつめが家庭訪問や親と教育現場のインタラクティブによって、親の行動変容を促す事が重要だと説いている。
行動変容とは何かというと、親のわが子に対する価値観を変える事です。

ペリー就学前プロジェクトで明らかになりましたが、親は結構わが子の事をわかっていません。
絵が上手いのか、かけっこが速いのか、歌が好きなのか。
教育現場では当たり前だと考えられている事が、家庭では全く当たり前でない。
だから、保育園で気持ち良く自分の得意技を披歴してきたのに、家庭ではそれが、過小評価されて、折角の子供の才能がスポイルされてしまうというのです。

だから、家庭と教育現場は密に子供の情報を共有し、子供のパーソナリティに対して共通認識を持っている事が、当たり前の事に思えて、かなり重要な事だと言うのです。

これらの事からも「保育園をこそ義務教育化した方がいい」とお二人は提唱するのです。

子供のパーソナリティごとにそれぞれ教育を提供する。これは極めて高度な教育技術が必要になります。
ゆえに、保育士の給与はもっと高くして、数も増やして、少人数制の保育園をガンガン作っていくべきなのです。
高齢者よりも子供に投資をしなければいけない。

子供ごとのパーソナリティに合わせて、保育を提供する。これは従来までと比較してかなり複雑な現場オペレーションが必要になります。

第二次産業がメインだった、人口の増え続ける、加工貿易立国を目指していた、高度経済成長時代の日本ならば、全ての子供に画一的な保育を施していれば良かった。

しかし時代は大昔に変わりました。
子供たちに思考停止した、同じ保育メニューを提供していては、教育のキモである、「生きた知識」を教える事はできません。

だからこそ、保育支援に予算をもっといっぱい割かなくてはいけないにもかかわらず、区長選や区議選での若年層の投票率はなんと脅威の10%台。

これでは既存のシルバー民主主義は絶対変わりません。
若者が選挙に行かなくてはならない。行って自分たちの未来を守らなくてはならない。
そろそろ本気で当事者意識を持たなければ、この国は高齢者と共に沈没します。

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