千葉女児殺害事件報道を見て思う事。

千葉県松戸市の小学校3年生、レェ・ティ・ニャット・リンちゃんが3月26日に千葉県我孫子市の排水路脇で遺体で発見されました。
このほど容疑者が逮捕されたという報道も。
小学校3年生、9歳のリンちゃんはこの卑劣漢に暴行までされていたと言う。
リンちゃんの死の間際の苦しみ、悲しみ、痛さ、怖さ、絶望を思うと犯人に対する怒りがふつふつと滾ってくる。
ヴェトナムでは、日本はロリコンの跋扈する危険な国家であると認定された事だろう。
同じ日本人として恥ずかしいし、リンちゃんに申し訳ない気持ちにすらなる。

 

こういった犯罪を未然に防ぐために有用と考えられること

各所でこの容疑者を死刑にしろとか、一族郎党をさらせ、と言った例によってヒステリックな反応が見られる。
もちろん、私もこの容疑者に同情は一切していない。
リンちゃんに味あわせた苦しみの何分の一かでも絶望を背負って欲しいと切望している。

しかしそんな感情的な行動はただの対症療法に過ぎない。
肝心なのは第二、第三のリンちゃんを出さないために社会の一員として能動的に何をしていく事か、思考する事とその本質的な議論であるはずだ。

そこで、私がこの事件に接して一番最初に思い出したのは、犯罪心理学と行動心理学のある言説だった。
名前を失念してしまいソースを提示できないのだが、その学者曰く、

「犯罪率の高い地域というのは、いわゆる犯罪未満の迷惑行為が横行している。例えば歩きタバコや放置自転車など、法律違反なのだが、件数が大きすぎて、警察が取り締まれないのをいいことに他者の迷惑も考えず、他もやっている、という他責の論理も応用して、思いやりのない行動をする地域が多い」

「そういった小さな悪事を軽く考える事がどんどん人間心理としてエスカレートしていく。そして、幼女を暴行して殺害し、その死体を遺棄して平然と、俺はやっていない、などとのたまう卑劣漢の出来上がり」

「つまりこういう幼女趣味を元々持っていて、かつ犯罪への志向性も持っていた容疑者だが、実はその容疑者を犯罪に走らせた背景や経緯として、その社会のありようというのは殊の外大きい要因であったとする考え方である」

 

小さな女の子に性愛を感じる。
もちろん社会的に是認できる事ではないのだが、持って生まれた性癖だとしたらどうする事もできない。
人には色々な趣味嗜好があり、LGBT(性的マイノリティ)だって、別に自分で選んでその性を選んで生まれてきたわけではない。

いわば生理的欲求というのは「おしっこをしたい」とかそういう本源的な欲求なので、否定しようと思ってできるものではない。だから、幼女性愛癖がある事自体は否定できない。

しかしそれを実行に移すか否かというところが議論されるべきなのだ。

小さな女の子をかどわかして、暴行したら、その女の子は痛い思いをするし、苦しむし、つらい思いをする。心に大きな傷を負う。
だから、性愛を感じたからと言って力づくで暴行してはいけない、と精神的なストッピングがかからなければ本来いけないのである。

しかし例えばその容疑者の住む地域だとか家庭環境において、小さな悪事を見てみないフリしたり、他責の文化があったとして、そういった思いやりの心がスポイルされるような環境にあったらどうだろうか。

容疑者は許せない存在だが、そんな「思いやりのない社会」の犠牲者という事もできるのである。

だから我々市井の人間がこの事件に怒りを覚えるならば、まず自分の住む社会を変革するために歩きタバコや、放置自転車といった大した事ないと考えがちな迷惑行為を止めましょう。

それが我々にできる唯一にして、一番効果的なリンちゃんへの弔いであるとも思うからです。

 

そもそもこういう事件を報道すべきなのだろうか?

この事件について、子供のいる友達と議論していたら次のような事を言っていた。

「でかい車に乗っているから、よく学校の送り迎えなんかをする時に、息子の友達なんかを乗せたりする。それで偶には、子供たちを連れて家でゲームとかをさせていたのだが、こういう事件があるとそういう事はしづらくなる」

その友人は身長が180cm以上。いい年して茶髪だし、普段着は黒づくめで、金のネックレスとかもしていて、その人となりを知らなければ、パッと見、「カタギなのかな?」と疑われるような感じです。

しかし、ちゃんと仕事はしているし、社会的にも信用に耐えうる人物という事は友達である私は保証できるのですが、世間はどうか。

こんな事件が起こったら、少し人相風体の怪しい男が、子供に接触していたら、事件の匂いを感じ取られてしまいます。

その友人は今後は、息子の友達を車に乗せる事は極力控えようとしていると言っていました。
良かれと思ってしている事に犯罪を疑われたら、そりゃしたくなくなる気持ちは誰しもが理解できると思います。

加えて、全国的にこの事件が報道される事で、模倣犯も出現する可能性があります。
全国各地に色んな人が住んでいるわけで中にはもちろんそういう変な奴もいるわけです。

そう考えると我々の知る権利を担保するのは重要ですが、でも、こういう事件を全国的に報道して知らしめるのって何だか悪い影響しかない気がしてきます。

この事件の報道がされなければ前述した友人は息子の友人と今まで通り接してきたかもしれません。
そしてあるいは、それが犯罪の抑止力になっている側面もあったかもしれません。

しかし、成人男性で少しでも人相風体が怪しいと判断されたら、子供たちは遠ざけられてしまいます。
子供と一切接触を断たれる社会。それって健全でしょうか。

子供も小さい内は色んな大人と接触する事で多様な価値観が身に着くと思いますし、それを一切合財封じてしまうのって教育上あまりよろしいとは思えません。

あるいは秘するが花、知らぬが花という日本独特の美意識で、こういう事件を報道しない事が逆に事件を未然にヘッジする事になるのではないかと。

今回の報道に接して考えた次第です。

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