学校から「いじめ」をなくすにはどうしたらいいのか?

「日本の学校から「いじめ」がなくならないシンプルな理由」

外部の市民社会の秩序を、学校独自の群れの秩序で置き換えて無効にしてしまう有害な効果が学校にはある。

学校の治外法権化は問題である。
犯罪を「いじめ」というレッテル貼りで思考停止している。

学校で集団生活をしていると、まるで群れたバッタが、別の色、体のかたちになって飛び回るように、生きている根本気分が変わる。何があたりまえであるかも変わる。こうして若い市民が兵隊のように「生徒らしく」なり、学習支援サービスを提供する営業所が「学校らしい」特別の場所になる。

学校とは戦前の社会主義的・全体主義的行動様式を生徒に強要する。
たとえば、運動会の行進。
わざわざ行進の練習をさせて全体主義を生徒に浸透させる。まるで北朝鮮のマスゲームである。
そこでは逸脱する個は明確に「悪」であり、排除・スポイルの対象となる。

そしてそういう全体主義を強要された集団はそれぞれが水面下(生徒間)で独自ルールを組成し、それが犯罪性を志向するまでエスカレートしていく過程を「いじめ」と定義している。
つまり今の運用では、人が3人以上も集まれば社会が形成され、多かれ少なかれ「いじめ」は発生してしまう。

人の集団が一つ所に3~6年のスパンでずっと一緒にいるという事がかなり不自然な事なのだろう。

結論・いじめは人間が人間でいる限り絶対なくならない。

多分今まで生きてきて「いじめ」と無関係だと言い切れる人って一人もいないでしょうね。加害者なのか被害者なのか。あるいはその双方なのか。
相手は自分と違う人間なのだから、相手が何をいじめと判断するかわかりやしない。
ちょっとイジっただけなのに思いのほか相手を傷つけていた。ないと言い切れる人は一人もいない。

それならばどうするか。私は下記のようにするより他に今の所アイデアがない。
「子供たちは気軽に学校を休んだり、転校できたり、定期的にクラス替えを行うシステム」を施行する事だ。

そもそも複数年、ひとつ所に留まったら、そこの空気は澱んでしまうでしょうね。
もちろん、一生涯の親友ができたりと悪い事ばかりではない。
社会性を学ぶ場として、自分の居場所として、学校が果たしてきた役割は大きい。

しかしそれでも空気の澱みは悪だと言い切れます。
古い人間関係、古い居場所からは安心、と変わらないルーティーンワークによる楽さは享受できますが、それは成長阻害要因でもある。

そして軍隊主義によるいじめの温床にもなりうる。

子供が本当に合うコミュニティを見つけられるまでフットワーク軽く各地を転々としてもいいじゃないですか。
心の健康のためには惜しむべきではない投資ですよ。

しかし、引っ越しには金がかかるので、例えば法的な規制を外すべき余地はあります。
例えば、マンションのオーナーを守る法律です。

敷金や礼金などはなくしましょう。
これは頻繁な引っ越しの妨害要因として、看過できません。

不動産オーナーだけが恩恵を受ける悪しき慣習です。

家賃はかなり高い水準で徴収するのに、敷金や礼金までも搾取するげにおぞましき強欲です。

オーナーはろくな管理もせず、不動産収入という不労所得を得ています。
これはみなさん、声を上げて、不動産オーナーを糾弾していきましょう。
私もがんばります。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です