教育無償化の前に教育の自由化が必要であると考える理由

昨日の日経新聞の記事。

首相、教育国債「次代にツケ残さず」 無償化財源めぐり 可能性排除せず

教育無償化の財源をどうするか、という議論が紛糾しています。

とてつもなく筋の悪いこども保険か(こども保険については過去記事参照)あるいは教育公債を発行して賄うか、というような議論です。

私はどうしても財源を捻出しなくてはいけないのならば、こども保険などという、まやかしの増税なぞよりも、教育公債の方がまだマシか、と考える方がですが、そもそも、この教育無償化についてはかなり懐疑的です。

私は、日本のような天然資源に恵まれない国は、人的リソースに投資していくしかないと考えています。

つまり、優秀な人材を多く抱える事でしか、国家を繁栄させる事はできないと考えています。

この少子高齢化の人口減少時代にあっては、維持すら難しいと思うのですが、とにかく国家経済を維持していく事すら今後、難しくなってくるでしょう。というか段々、貧乏な国になっていっています。

ですから、教育に投資する事で、人的資産を拡充させるという方針自体には強くアグリーですが、果たして、現状の高等教育に、その推進力や国費を投じる価値があるのか。

甚だ疑問です。

私は常々、農業と教育が何より自由化が必要だと考えていますが、教育無償化に舵を切る前に、教育を自由化させる事が必要だと強く感じています。

その理由を下記する事といたします。

 

現状、日本の大学はモラトリアムのレジャーランド化が著しい

現状の大学。特に文系学部などは、大学とは名ばかりのただの遊園地です。

サークルにバイトにナンパ、夏は海で、冬はスノボ、と言った具合に、学生は大学を長めの夏休みか何かと勘違いしています。

それは楽しいでしょう。親のカネを使って、遊び続けていられるのだから、こんなハッピーなモラトリアム期間は人生の内でほんの一時です。楽しまにゃ損と考えても、無理からぬ話。

大学卒業後は、公務員や銀行員や大企業のサラリーマンなどになって、社畜として摩耗する人生が待っているのだから、今の内にこの世の春を謳歌しておこう、という刹那的な考え方をするそんな若さは誰もが持っていたのだから、誰も否定なんぞできないと思います。

悪いのは、若者ではなく、既存の大学の仕組みです。

既存の大学は悪い所しかないと考えていますが、特に悪い部分を3つ程提示いたします。

・大学はすべからく、文科省という役所のひも付きであるため、横並びでどこも、似たようなキャンパス、似たような講義が展開されている。

・大学教授は元々研究がメインの人間なので、教えるのがとてつもなく下手。よって講義がつまらないから生徒は勉強する気が失せる。

・文科省の規制により、どの大学も授業料が似たような金額で高止まりしている。(人気のないFランク大学も人気のある大学も授業料にさして違いがない。そんな許認可事業で競争もなければ、メリハリもない大学運営や経営が合理化していくはずもない)

あと、グローバルスタンダードでは、秋入学なのに、日本だけ春入学、というのも、海外の留学生を締め出したり、毎年大雪の降る、1月や2月にセンター試験や二次試験をする事で学生に負担をかけるなど、本当に日本の教育界は改善点ばかりなのですが、それは本論と少しズレるのでここでは多くを語りません。

上記したような3つの問題点。これは実は根を同じくしています。

そうです。高等教育が、文科省のひも付きである事が何よりも問題なのです。

センスのない文科省による規制により、つまらない講義。つまらないキャンパス。つまらない没個性が現在の高等教育を形成しており、つまり高等教育が文科省からスピンナウトしないと、これらの大学が多く抱える問題点は是正されないのです。

しかし言い方を変えれば、もし高等教育が文科省から離脱できれば、つまり自由化すれば、日本の大学って物凄く面白くて、物凄く可能性を秘めた教育産業に生まれ変われる、と言う事もできるのです。

 

大学(教育産業)を自由化したら色々な可能性が生まれる

私は義務教育(中学校卒業)までは文科省の管轄でもいいかな、と思っています。

日本の義務教育は質が高くて、日本人の識字率の高さなどに貢献している面もあり、ここは簡単に崩壊させていいものではないかと考えるからです。

その代り、高等学校以上はもう文科省の統治から外してしまえばいいと考えています。

例えば、勉強は大嫌いだけど、野球は大好きな男の子がいたとしましょう。

文字が書けなかったり、簡単な計算ができないのは問題なので、義務教育は修了させた方がいいと思いますが、将来野球で食っていきたい、という強い意志と才能を持つ子供を無理矢理学校の机に縛り付け、勉強を無視じいするのは無駄と思ったことはありませんか?

私は無駄だと思っています。野球でもサッカーでも好きでプロ選手になりたい子は、朝から晩まで思う存分、野球やサッカーをやらせてあげればいいと思うからです。

そんなスポーツしか能がない子に、高等数学なんて無用の産物ですし、仮に必要になったら、好きなスポーツのために独自で学ぶでしょう。

だからそんな風に、野球だけやらせる高校や、サッカーだけやらせる高校や大学など作ってあげて、子供たちに好きな事に一意専心させてあげられる環境を整備するべきだと思うのです。

将棋の藤井四段なども、無理して横並びで学校の勉強させるより、どんどん突き抜けて、将棋を強くなってもらう方が、本人のためでもあるし、社会のためでもあると思います。

別にスポーツに限らず、虫が好きな子には昆虫学の研究者が教えてあげればいいし、車が好きな子には例えば、トヨタやホンダの技術者の人が技術を教えてあげる事なんかも、自由化すれば可能です。

つまり高校、大学自由化のイメージとは、日テレの「世界一受けたい授業」みたいな感じ。

本来学ぶという事は楽しい事です。

それを文科省ひも付きの横並びの社会主義・公教育がつまらないモノに変質させているのが現状。

教育の自由化とは、それを本来の面白い学問に戻してやることと同義なのです。

東進の林修先生のような面白い授業を提供する人気の講師が出現すれば、その人の報酬は1億円とか2億円とかになる。

教育産業が儲かるとわかったら、各界の素晴らしい能力を持った人物が教育産業に乗り込んできます。

そして競争が生まれる。クソつまらない講義を提供して悦に入っていたクソ大学教授はその場から退場させられます。

大学試験の予備校の人気講師の授業を受けたことがある人ならわかると思いますけど、彼らの授業って本当に、果てしなく面白いです。

私は大嫌いだった日本史と世界史が、氏の授業で大好きになりましたから。

一方で大学の講義は最低最悪でした。

当時はこの違いがどうして生じるのか不思議で仕方なかったのですが、前者は営利企業、後者は独占許認可事業ゆえに、つまり競争がない事からこの明確な差は生まれていたのです。

教育自由化で既存の社会主義的大学運営に風穴を開けるべきです。

大学を自由化すれば、子供たちに色々な教育の選択肢を提示してやれることで、本当に色々な可能性が生まれると思います。そしてそれが本当の資本主義だと思います。

 

まとめ

私が教育無償化、の議論の前に、まずは高等教育を自由化すべき、と提言しているのは以上の理由からになります。

現状の社会主義的で、つまらない、硬直化した、競争のない高等教育を、自由化する事で、資本主義的で、面白い、柔軟な、競争原理の効いたそれに変革していく必要がまず大前提であると考えるのです。

もし自由化もせず、現状の文科省のひも付きのままで、教育無償化などを実行したら、それは単なる教育行政の補助金です。

こども保険や増税など言うに及ばす、もし仮に、教育公債など発行しようものなら、クラウディングアウトで、適正な教育市場のリソース配分が過度に毀損されます。

まず順番として、教育を自由化し、教育産業をナンセンスの塊である文科省から切り離します。

その後、様々な教育機会を担保してあげて、そこに進学したい意識の高い、そして学力の高い学生がいたら、そういう子に対して、国が奨学金を付与してあげるのはアリでしょう。

あるいは、その大学を運営する企業がリクルートの一環として、授業料を免除してあげたりするのもいいと思います。

とにかく、まず、無償化議論の前に、自由化しましょう。

そうでなければ、昨今よく話題になる、天下りですとか教育補助金を狙った不正がより横行するようになるのは間違いないですよ。

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