【実写化の悪】ナオミとカナコ&僕たちがやりました

今更ながらですが、奥田英郎先生著「ナオミとカナコ」を読了しました。

安定の奥田クオリティで、今作も大変、楽しく拝読させていただきました。

奥田先生、次回作も首を長くしてお待ちしております。

 

奥田先生のファンは多いでしょうし、何でも、この作品はドラマ化もされたそうなので、知らない人はあまりいないのではないかとすら思います。

なので、書籍の紹介というより読後の雑感のようなものです。

筋書きなどをつらつらと書き連ねるのほど野暮ったい事はないので、(しかしそうなると、ただただ「面白かった」というのを連呼するだけになってしまうのですが。。)それは止めますが、558ページにも及ぶ長編を、読み始めたら止まらなくなって、あれよあれよと言う間に読み進めてしまい、いつの間にか読み終えていました。

稀代のストーリーテラーとしての奥田先生のさながら奥田マジックが炸裂した作品です。

数百円でこれだけ楽しめる文庫本はやはりすごいなと感嘆しました。

しかし敢えて不満を1点述べさせてもらうならば、なぜ実写化をしたのか、とは思います。

 

実写化=原作レイプ

私は漫画や小説の実写化が好きではありません。というか大嫌いです。

読者は漫画や小説に感情移入をして楽しんでいます。読者がいればその読者の数だけその楽しみ方はある。

「ナオミとカナコ」で言えば、私は直美や加奈子の顔や仕草。喜びや絶望などを想像しながら読んでいます。

その想像こそが小説という知的な娯楽の楽しみ方と信じて疑わないからです。

しかし実写化はその知的な創造的楽しみを全部スポイルしてしまう、一種の犯罪的行為とも言えます。

私が創り出した「ナオミとカナコ」を強引に力技で、塗り替えにかかる、たかがテレビ局の大いなる傲慢です。

私が学生の頃、センター試験の国語のテストで、小説を読んで、その登場人物の気持ちに最もふさわしいものを次のア~オの内から選びなさい、という問題がありましたが、あれと同じ。

小説なぞ本来、読む人がいかようにも、無限に解釈してしかるべきものをひとつの枠に収めようとするあの社会主義的・全体主義的傲慢。あれは一体何なんでしょうか。

同調圧力というか。空気を読む事をテストにしてそれで生徒の序列をつけるなんて、日本の公教育のやっている事は北朝鮮とベクトルはさして変わらない事を如実に表している行為です。

「ナオミとカナコ」もそう。

私が楽しんでいた小説の解釈を、たかだかテレビ局のくそプロデューサーだかくそディレクターごときが正解を定義して、開陳しているこの傲慢は許しがたいです。

そもそも彼は何がしたくてキー局の社員になったのでしょうね。

既存の面白い漫画や小説をパクるためだけの人生?彼らは何も生み出してはいません。真に唾棄すべき人間です。

ただ面白い漫画や小説を見つけてきて、それを電波に乗せただけ。そこには0から何かを生み出すクリエイターの矜持のようなものは少しも見出せません。

キー局の仕事はつまりは、「パクる」事です。それで高給を取っています。恥を知るべきでしょう。ただ入社以来、厚顔無恥になる事を徹底的に教え込まれるので、それを求めるのは無理があるのですが。

 

最近だと、「僕たちがやりました」という漫画の実写化をしてキー局は悦に入っています。

ヤンマガを毎週購読している私はこの漫画を当然知っています。面白い漫画でした。

そして次はそれをパクろうとしています、キー局は。

この実写化で一番働いているのは、現場の漫画家先生と、キー局のぼんくらから、外注している制作会社のスタッフさんです。

本来滅茶苦茶面白かったはずの原作が何も生み出す事のできないキー局の下手な指示によって実写化はズタボロにされている。

ここでは、元々の原作ファンだった読者の心はないがしろにされています。

たかだか、キー局に勤めているだけの無能な人間に、そんな事する権利はあるのでしょうか。

読者の気持ちを置き去りにした実写化はすべからく全部、干されればいいと思っています。

そしてキー局などという時代遅れの不要な組織は、インターネットに駆逐されて、この世からなくなる方が、社会の為だとも思います。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です