医療の倫理・正義とは「ぴんぴんころり」である

国民皆保険による医療、医師の半数「持続不能」 本社1000人調査

先日の日経新聞の記事。

この記事に書かれている日経新聞の調査によると、国民皆保険は持続可能か否か?という質問に対し、現役の医師たちの答えは以下の通り。

・そう思う   25%

・わからない  22%

・そう思わない 52%

という結果だったとの事。

正直このアンケート調査を見た時、どんな意味があるのだろうか、とは思った。

というのも、医者は人の身体を治す専門家ではあるが、財務の専門家ではないからだ。

国民皆保険の財政状態について聞かれても、正直「わからない」というのがほとんどなのではないかと思う。

現場が相対的にかなり安い診療報酬で、病院経営が大変だ、という質問ならば、その意図もわかるが、国家財政について、現場の医師へのアンケート調査が有用かと言うと、果たして私においては疑問符の付きまとう調査であると言わざるを得ない。

また、当該記事においては、国家財政における医療費負担の推移も掲載している。それによると、以下の通り。

・1990年度 20兆円超

・2015年度 41.5兆円

・2025年度 54兆円

当然、世界でも稀に見る高齢化によって、医療財政も増大の一途を辿っている。

近年の国家予算において一般会計が100兆円を超えたというのがニュースになっていたが、8年後の日本では、その国家予算の半分超が医療費になってしまうという恐るべき試算である。

税収がおよそ54~55兆円なので、医療費と税収がほぼ同額になってしまうのである。

これは誰がどう見ても、由々しき財政状況であると言えよう。

 

まずは高齢者の医療費自己負担割合も3割にする事が先決では?

厚生労働省HPによれば、現状医療費の負担割合は、

・75歳以上     1割

・70歳以上75歳未満 2割

・70歳未満     3割

となっている。

しかしこれはシルバー民主主義の最たるもので、なかなか経済合理的とは言えない。

というのも、人間というのは、当然ながら、高齢になるほど身体に不調が現れ、医療費がかさむことから、現状の医療費のボリュームゾーンは高齢層となっている。

元々診察料金の安い日本の医療機関でしかも、自己負担が1割という理由から、大した症状でもないのに来院する高齢者が多いと言う状況が社会問題となって久しい。

しかし貯蓄も大きいボリュームゾーンを占めているのも同時に高齢世帯と言われており、余裕があるのならば、高齢者も自己負担をまず3割にすべきなのではないでしょうか。

これだけで国家財政負担が純減するのみならず、軽い症状で来院するという状況も改善され、より重い症状の若年者や、ブラック労働により過酷な労務状況に置かれている病院や医師たちを救う事にもつながるのではないでしょうか。

血圧などを薬で調整しようと言うのは、よほど重病の患者がする事であって、ある程度健康なら、血圧は、普段の食事や適度な運動によって調整するのが本来の人間の生理なのです。

簡単に来院しない事が以て、高齢者の健康増進にも資すると思われるのです。

 

セルフメディケーション税制という筋の悪い政策

セルフメディケーション税制とは

過去の記事でも書いていますので詳述はそちらに譲りますが、財務省の頭でっかちの作ったセルフメディケーション税制という筋の悪い政策があります。

これは何かと言うと、医療財政を健全化するため、なるべく病院に来院しないで、例えば、市販の薬なんかを使って病気を治した場合、その薬の治療代分が毎年所得税における所得から控除されるという制度です。

毎年薬代が12,000円を超えたら、超える部分が所得控除できるという事ですが、これはちゃんちゃらおかしい。

多分ある程度健康な若年者、30代の私なども含めると、病院に行くのは大体年2回程度でしょうか。

季節の変わり目に風邪を引いた際に、薬を貰いに行くとかそんなもんです。

年2回の風邪薬で、12,000円も使いますかね。

財務省とか国税庁のお役人には、現場がよくわかっていないのでしょうが、庶民は単なる風邪1回あたりに6,000円もかけていられないのです、貧しくて。

だからセルフメディケーション税制なんてよほど特殊な症例の人でもない限り、適用対象にすらならないわけです。

それに、風邪以外の症状で自己判断できるわけもないから、そしたら病院に行くでしょうし。

このセルフメディケーション税制というおバカな制度を上手く表現するならこうです。

「帯に短し、襷に長し」

経済が分からないクソ役人とクソ政治家の考えたバカ政策です。

 

無駄な延命を止める事が一番医療財政の改善になる

高齢者優遇と医療費拡大、悪いのは誰だ?

日経ビジネスオンラインの記事で面白いのもがあったのでご紹介。

ここでこの津川さんというお医者さんが言っている通り、単に若年者と高齢者の世代間対立を煽っても無益であり、逆に問題の本質を見えなくさせ、不毛な精神的対立を助長するにとどまってしまいます。

医療費を増大させる、何よりの悪は、本人も、家族も、医師も望まない問答無用の延命にあると思います。

もし私が仮に、治療できない程の病に冒されてしまったら是非以下2つの医療インフラを技術的・法的側面から準備してもらいたいと思います。

・緩和ケアキット

・安楽死キット

もし私の身体が手の施しようがないのであれば、私は死ぬギリギリまで普通の日常を過ごしたいと考えるからです。

その為には、その病の痛みや吐き気やその他症状を抑えてくれる緩和ケアキットが欲しい。

例えばそのキットを使えば、病の症状から解放され、普通の生活が送れる代わりに、死期が5年から1年に短縮されたとて、私は何も後悔はないだろうと思うからです。

逆に病院のベッドに縛られてただ無暗に5年生かされる晩年など考えるだに恐ろしいと思います。

また、もう緩和ケアもどうしてもいけなくなって、もう辛くて辛くて仕方なくなった時に、自分で安楽死キットを使用して、そのまま、普通の生活からふっと死に移行できれば。

つまり「ぴんぴんころり」を医学の力で実行できるならば、かほどに理想的な死はないと思っています。

死とはいいものでも悪いものでもなく、生きとし生ける全ての者に平等に降り注ぐものです。

ただただ死を禁忌視し、アンタッチャブルなものとして、遠ざける事ばかりに躍起になる今の医療の方向性は明らかに間違っていると思う。

死を自分で選べるのが、本当の人間の尊厳ではないでしょうか。

そんな風に自分の死をマネジメントできる医療的・法的インフラを整備すれば、国民はみんな「ぴんぴんころり」を自力で実現できます。

 

まとめ

政治家はただ無暗に高齢者に忖度するような姿勢を改めて、この「ぴんぴんころり」をこそ、実現できる高齢化社会を目指すヴィジョンを提示すべきだと思います。

私は今の問答無用の病院による延命はただの高齢者虐待だと思っています。

「死」や「ぴんぴんころり」を自分でマネジメントできるようになった時、人は悲惨な老後から解放される自分を信じる事ができ、それが以て、医療費財政の健全化に資する事になるんです。

我々は票田である高齢者におもねり、忖度するような小泉進次郎のようなクソ政治家ではなく、もっと気骨のある政治家を選ばなければいけないという事を肝に銘じましょう。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です